2015-05-19 第189回国会 衆議院 環境委員会 第6号
だけれども、この問題を取り上げて、私たち国会の大先輩であります田中正造翁、このことについての知識が本当にあるんですかといったときには、私は非常に疑問を持っております。 明治の時代に既に、これだけの未曽有の大きな被害を出す公害事件があった、このことを絶対に私は忘れてはならないというふうに思っておりますが、残念ながら、人間は過ちを繰り返してしまいます。ですが、やはり二度と過ちは繰り返してはならない。
だけれども、この問題を取り上げて、私たち国会の大先輩であります田中正造翁、このことについての知識が本当にあるんですかといったときには、私は非常に疑問を持っております。 明治の時代に既に、これだけの未曽有の大きな被害を出す公害事件があった、このことを絶対に私は忘れてはならないというふうに思っておりますが、残念ながら、人間は過ちを繰り返してしまいます。ですが、やはり二度と過ちは繰り返してはならない。
有名な田中正造翁が本当に命をかけて闘った事件でありましたけれども、そのときに栃木県の谷中村という村は廃村になったんですね。 今回のこの事故に当たって、私が双葉郡の現職の町会議員や元職の人と話し合ったときに、こんな話をしておりました。もしかして本当に帰れないね、そうなったときには双葉郡の四町を合わせて一つぐらいの町ができるといいな、そういう希望を漏らしておりました。
公害被害あるいは公害問題ということで思い出されますのが、我が郷土が誇る田中正造翁でございます。私の住んでおります足利市の隣町であります栃木県の佐野市に、今も生家が保存されております。皆様も御存じのとおり、足尾銅山の鉱害問題解決のために、生涯をその問題にかけました偉大な人物でございます。 この田中正造翁が足尾銅山問題で天皇に直訴いたしましたのが一九〇一年十二月十日でございました。
私の郷土の誇り田中正造翁が、帝国議会議員の職を辞し、足尾の鉱毒について天皇に直訴してはや百年、その田中正造翁は、真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべしという言葉を残しました。 総理、この言葉の意味を十分にかみしめながら私の反対討論をぜひお聞きいただきたいと思います。 今、日本経済を景気低迷とデフレの泥沼から救うために行わねばならないことは何か。
田中正造翁が亡くなって八十年以上が過ぎました。鉱毒を沈殿させるために一つの村を廃村にした、そして渡良瀬川の川筋を変えて今の渡良瀬遊水地をつくった。多くの農民の貴重な涙がしみ込んでいる、そういう土地が渡良瀬だと思うわけです。 私、ここに、環境庁が二十年を記念いたしまして出した二十年史というのを持ってまいりました。その冒頭のところにこのように書かれているわけですね。
渡良瀬遊水池の問題は、足尾銅山の中で有名な田中正造翁が非常に頑張ってきて、谷中村という村を一つあそこから陸に上げて、そしてそこに三千三百ヘクタールの遊水地をつくった。ここに建設省が一期工事、二期工事、三期工事という工事を区画をしておりますが、一期工事ができ上がって二期、三期は今準備中ですね。
これは足尾銅山鉱毒問題と闘った田中正造翁の日記、明治四十三年四月一日の一節であります。 それでは質問に入ります。 提案の理由によりますと、政府案は、人類生存の基盤である地球環境が悪化している現状や、都市型、生活型の公害が依然改善されないことを重く見て提案されたものと言われております。そこで、まず地球環境の現状認識に関して若干お尋ねいたします。
休廃止鉱山におけるいわゆる坑廃水による鉱害の問題、特に私どもは田中正造翁の足尾鉱毒事件を地元に持っております。これは委員長も同じでございますが、そういう観点で、この坑廃水の処理というものは本当に私どもの生活に大きな影響を与えるものでございます。そういうような経験から、今回の法改正について大臣初め関係の方にお伺いしたいと思います。
それから、憩いの場所であり、非常に歴史を持っているこの渡良瀬遊水池、これは、田中正造翁が鉱害問題で闘って、谷中村という村を一つつぶしてつくったところであって、非常に歴史のあるところなんです。
私ども地元におきましては、かつて公害の原点と言われた足尾鉱毒事件の真っただ中にあるわけでありますが、そのときに、この足尾の鉱毒事件の田中正造翁が天皇に直訴するという歴史的な非常に大きな問題も含めまして、いろいろと問題があったわけです。
と同時にそういう問題について公園の計画化も同時に進 めてもらうということでないと、なかなかあの地域の人たちの気持ちというものが、ただ単に渡良瀬遊水池の中にあったお墓を一カ所に集めて供養するとか何かというようなこと、あるいは田中正造翁のいろいろなものを集めて、それの記念のためのいろいろな事業に助成をするというようなことだけでは、あの地域の人たちの気持ちが私はおさまらないものがあると思うのでありまして、
君は、明治三十六年、栃木県安蘇郡田沼町に、かの田中正造翁の政治的後継者たる下野新聞社長、代議士戸叶薫雄氏の長男に生まれ、宇都宮中学校を経て早稲田大学政治経済学部に学ばれたのであります。
これは有名な足尾の鉱毒事件のときに、例の田中正造翁の活躍されました谷中村のことでございます。この問題は明治三十五、六年でございましょうか、いわゆる谷中村が時の権力によって一村取りつぶしになったというあの事件、ちょうどそこが三千三百ヘクタールという広大な地所がございまして、これが現在渡良瀬遊水池ということで建設省の管理になっております。
私らは地位や何かを求めていないが、やはり十歳のときまで感化を受けた田中正造翁の精神というものが全身に焼きついております。九月五日に私は「湯川博士と田中正造翁の悲願」という文を朝日新聞の論壇に書きましたけれども、私は最高の知性人と見られる湯川さんでも田中正造翁でも、現実政治から飛躍するかもしれませんけれども、人が人を殺すような殺戮の修羅の世界をなくしなけりゃいけない。
百年鉱害といわれ、あるいはまた公害の原点といわれた足尾の鉱毒公害については、明治の田中正造翁の活躍以来、引き続いて鉱害をたれ流し続けておった案件でございます。
この遊水池は、かつて田中正造翁が国会議員当時、足尾の鉱毒問題を解決せよと迫った歴史的な、県民にとっては忘れることのできない、一村そっくり、谷中村というのを北海道に強制立ちのきをさせた、そして遊水池をつくった、言うならば栃木県民は、この遊水池を利益追求のためや特定の法人や個人の利益のために使わせるようなことは断じて相ならぬ、そういう県民感情がこびりついている、そういう明治以来の歴史的思い出のある地域であります
私はきょう、昔あった田中正造翁のような心境でお訴えするわけです。 この開発に賛成、反対ということは申し上げる時期ではございませんが、この環境というものは、単に私が生まれ育った、われわれが生まれ育ったから大事だというものじゃなくて、日本の国民のために大事な環境であるということをお訴えするわけです。年一億キロリットルという油を運び込めば、太平洋といえどもあの海域が汚染されることはもう明白でしょう。
かつて本院におられました田中正造翁が、生涯をかけて、この問題の解決のために身を投じて健闘されたということは大臣もよく御存じだと思います。これだけ現代の科学の進歩した世の中です。その世の中で、このカドミウムの原因者がわからぬというようなことは、私はあり得ぬと思うのです。この点、原因者究明は当然なさるべき課題だと思うのでありますが、一応大臣としての御所見を承りたいと思うのです。
とにかく公害の原点、公害一号の足尾の鉱毒問題に新たにカドミが付け加わったわけでありますが、それがいつまでたってもはっきりせぬというようなことでは、私は公害のために戦われた田中正造翁の霊にも申しわけないことだと思います。ひとつこの点は関係各省、時機はまさに適したようですし、特に環境庁発足も近いというときでありますから、公害対策本部のほうでもひとつ力を入れて原因究明を早急に出していただきたい。
この場合、公害の原点はどこか、公害一号はどこかといえば、これは田中正造翁以来問題になりました足尾の鉱毒の問題ということは明らかだと思います。今回土壌汚染防止法が提案をされておりますけれども、物質については政令にゆだねております。量についても政令にゆだねております。